もう一つの「風立ちぬ」

スタバ

本当は、スタバに陣取り、そこから見下ろす渋谷駅の風景の話しを書くつもりでした。でも、真夏の日差しを防ぐために、スクリーンが下ろされていて、外が見えない。なので、予定を変更して、渋谷駅単体のお話に。

さて、以前、「風立ちぬ」を観た感想として、零戦も、零戦設計者の堀越二郎さんの苦悩なんかも、あまり描かれていなくて、思っていたとの違った…というような話しを書きました。

まあ、「風立ちぬ」のオフィシャルサイトにも、宮崎駿さんの見解として、

・本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
・航空技術のうんちくを描きたくはない。
・完全なフィクションとして1930年代の青春を描く。

となっていて、堀越二郎は、飛行機設計技師という設定だけでした。

僕は、特に軍ヲタではなく、戦後の復興を支えた、SONYの井深大さんとか、HONDAの本田宗一郎さんとかの話しが好きで、そのルーツを遡って行くと、零戦にたどり着いたりします。

例えば、HONDAの初代F1監督の中村良夫さんは、零戦のエンジンなどを作っていた中島飛行機のエンジニアだった人。4代目社長の、川本信彦さんは、軽飛行機技術者応募広告を見て入社。5代目社長の、吉野浩行さんは、東京大学工学部航空学科出身で、堀越二郎の後輩となります。というように、実はホンダと飛行機は、深い繋がりがあったりするのです。

そんな感じで、好きな分野を掘り下げると、零戦に当たったりするのですが、その為、人よりちょっと興味があったりするのかもしれません。

テレビのニュース番組の方で、堀越二郎特集をやっていたのですが、後に、零戦が死に行く為の道具、特攻機として使われた時の苦悩が描かれていました。そして、その苦悩が、後の、昭和を代表する物に結びついていたりします。

そこで、今回は、堀越二郎とは違う、もう一つの「風立ちぬ」を紹介したいと思います。

駅前

みなさん、おなじみの渋谷駅前の風景。左手の男女2人は、Free Hugsというプラカードを掲げています。抱擁して、愛とか平和とか温もりを感じようとという運動ですね。

そんな、風景の中に、ある飛行機技師の苦悩が生んだ物があります。

愛嬌のある形から、青ガエルと呼ばれて親しまれた、東急5000系の電車です。

桜花

設計者は、特攻機の桜花を生んだ、三木忠直さん。

特攻機というと、零戦だけと思われがちですが、その他、隼、飛燕、疾風など、数多くの機種が特攻機として使われ、三木忠直さんが設計した「銀河」も、特攻機として使われました。

そして、最後には爆弾を積んで、死にに行く為だけの機体「桜花」の設計を命じられます。体当たりが目的の為に、着陸は必要ないと車輪も付けられていません。三木さんは、体当たり前に脱出する装置を設計しますが、軍部に却下され、文字通り死ぬためだけの飛行機になってしまいました。

敗戦の年、特攻機を設計して若者達を死に追いやった罪責の念から、クリスチャンとなります。そして、軍事に直接繋がらない技術の仕事として、鉄道の開発の仕事に就いたのです。

渋谷駅前の通称「青ガエル」と呼ばれた東急5000系の車両は、丸みがあるのですが、軽量化の為に、フレームが一体化したモノコックという構造を採用。航空機の技術を応用したもので、飛行機技師だった三木さんのアイディアです。

小田急

そして、三木さんが続いて手がけたのが、小田急のロマンスカー、3000形。高速鉄道を実現する為に、またまた航空技術が使われ、低重心・超軽量の流線形車両を設計。当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録である145km/hを樹立しています。

0系

そして、誰もが知る、新幹線の0系。これも三木忠直さんの設計です。まるで旅客機のような形と言われた丸みのある先頭車両は、飛行機設計技師だった三木さんだから生まれた形です。

そして、この新幹線の車輪をつなぐ台車の空気バネを生み出したのは、零戦の技師で、振動問題を研究していた技術者の、松平精さんです。

新幹線の自動列車制御装置(ATC)システムを開発したのは、陸軍で、通信技術の専門家だった河邊一さん。

戦争中は、兵器開発を余儀なくされていた人達が作った、平和的な乗り物が、新幹線だったのです。

YS-11

ちょうど、新幹線の開発と同じ時期に、研究開発されていたのが、日本初の国産旅客機のYS-11。こちらは、風立ちぬのモデルの零戦設計者の堀越二郎さんや、特攻機にも使われた飛燕の設計者、土井武夫さん達が、設計したものです。

ちなみに、零戦の機体を製作していた三菱重工業から分かれたのが、三菱自動車。零戦のエンジンを作っていた中島飛行機が戦後解体され、そこから生まれたのが、富士重工業 (SUBARU)です。

ホンダジェット

そういえば、動く物なら何でも作るというホンダは、ついにホンダジェットという飛行機まで作り上げました。本田宗一郎さんの夢だった航空機事業。宗一郎さんが、子供の頃に飛行機の曲芸をみてから、ずーっと憧れただった飛行機です。

ホンダウイング

ホンダのマークであるホンダウイングは、「世界へ羽ばたこう」という願いを込めて、ギリシャ彫刻の女神像「ニケの像」の翼からデザインされた物だけど、飛行機に憧れたのあった本田宗一郎さんだからこそのアイディアかもね。

だから、飛行機なんて夢のまた夢だった時代から、飛行機のエンジニアを集めました。初期のホンダのF1チーム監督の中村良夫さん他、当時のF1エンジニアの中には、戦時中にゼロ戦の改良に関わっていた人達がいましたしね。

少年の頃、飛行機に出会ってなければ、このデザインは生まれなかったかもしれない。

となると、このマークからお父さんが名前を付けた、女優の本田翼さん。その名前も生まれていなかったかもしれない。

まあ、最後は話しが飛躍しすぎましたけど、こうして、零戦を始めとする技術者達の苦悩や後悔が連鎖して、現在の技術につながっている訳です。

宮崎駿さんは、あえてそこを外して、あの物語を描いたけど、特攻機を設計した人が作った電車の前で、たぶん何も知らずにFree Hugsというプラカードを掲げる若者達をみて、僕は、知って欲しいなあと、思ったのでした。

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風立ちぬ

風立ちぬ

僕の周りでも賛否両論多い映画だ。

この映画が封切られた当初、ジブリというイメージだけで、
母親達が小さな子供達を連れて映画館を訪れ、
「トロロやポニョみたいなキャラが出てこない」
と、怒ったという記事を見て、
それは、勝手な思い込みだろと、笑っていました。

がしかし、自分も同様の間違いをしてしまいます。

「零戦設計者の天才技士、堀越二郎を描いた」
という言葉から、零戦や零戦の設計エピソードが出てくる物だと思い込み、
期待して見に行きましたが、どちらも出てきません。
正確に言うと、零戦は最後の方にほんの一瞬出てくるだけ。

後に神話と化した零戦を完成させた飛行機の設計技師・堀越二郎をベースに、
同時代を生きた文学者・堀辰雄のエッセンスを取り込み

とあるけれど、どちらかというと、
「風立ちぬをベースに、飛行機設計技師のエッセンスを取り込み」という感じだ。

零戦の設計技師の堀越二郎

この言葉を使わずに「若き航空技師の恋を描いた作品」ぐらいだったら、
何の文句も無く観られたような気がします。

のちに宮崎駿監督もインタビューで答えているけれど、
零戦のデビューは日中戦争な訳だから、
零戦を描く為には、中国や朝鮮半島の空を飛ぶシーンを描かなければならない。
描く事で、その後、どういう問題が起こるのか覚悟して製作に入った。
という割りに、あっさりと旗を降ろしている。
結局、零戦の前の前になる、九試単座戦闘機の設計の所で話しは終わる。

まあ、ジブリも

後に神話と化した零戦を完成させた飛行機の設計技師・堀越二郎をベースに

と言っている訳で、零戦の設計の話しだと思い込んだのは、勝手な自分の勘違いでした。

技術的な解説や航空技術のうんちくを描きたくはないが、
やむを得ない時はおもいっきり漫画にする。

と、宮崎駿さんは言っているのは、夢のシーンの事だろう。
絵としての飛行機は美しく描かれているけど、
何故その飛行機が生まれたのか、その背景については本人の言葉通り、割愛されている。
それは、それぞれの演出方法だから、ご自由だけど、
結果として、ファンタジックに飛行機を飛ばしているだけだ。

「航空マニア向け」との論評もあるけれど、それも違うと思う。
宮崎駿が描くメカニカルな絵が好きって人向けって方が正しいと思う。

結局、堀越二郎の名前を使いつつ、
零戦作りへの試行錯誤、悲劇、葛藤、肝心な所は描かれていません。
天才、完璧主義と言われた本当の堀越二郎という人物像に関しても描かれていません。

何度も言うけど、

「若き航空技師の恋を描いた作品」

これだったら文句はないです。

残念なのは、堀越二郎を知らない多くの人が、
これを堀越二郎の実話だと思い込んでしまっている事です。
留学とか、設定でなぞった部分はあるけれど、これは、フィクションです。

単に、第二次世界大戦直前の恋物語として見に行った方が、感動出来ると思います。

なぜ、ここまで堀越二郎に思い入れがあるかというと、
NHKのプロジェクトXで特集された
戦後、設計した国産旅客機、YS-11のエピソードが好きだったからです。

川崎航空機で、飛燕の設計者でもある土井武夫と、
三菱で零戦の設計をした堀越二郎。
彼らは、東京帝国大学工学部航空学科の同級生です。

この二人は、よくぶつかり、一歩も譲らず侃侃諤諤の議論を戦わせながら、
YS-11と作りあげていきます。
その中で天才達が生み出したアイディアの数々。

そして激務である主任設計者の座から、堀越や土井達が退き、
堀越二郎の後輩、零戦のプロジェクトメンバーだった若手、東條輝雄に引き継がれる。
あの東條英機の息子である。
東條は、若い技術者達を束ね、国産初の旅客機を完成に導くのである。
YS-11お披露目の日、空港には引退していた堀越や土井達がかけつけ、
後輩達が仕上げた旅客機が飛び立つのを、見守っているのでした。

先に、こっちを観ていたから、勝手にそういう映画だと思い込んでしまいました。
プロジェクトXも、零戦の設計の話しは出てきませんが、
YS-11を通じて、飛行機を作り上げる思想やロマンは、感じ取る事が出来ます。

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