エドヴァルド・ムンク版画展(国立西洋美術館)

国立西洋美術館

モネ展を観に行った時に、自分だけ観終わる時間が遅くて、
みんなを待たせてしまった訳ですが、
それは同時開催されていた、ムンク版画展を観に行っていたからです。

同時にムンク展をやるからそれも見る事は言っていたのですが、
どこで開催されているかわかりにくく、
みんなは気づかずに外に出てしまったようでした。

地獄の門

国立西洋美術館は、表にもロダンの彫刻があったり、常設展も行われています。
こちらは「地獄門」。
イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌に登場する
地獄への入口の門を表現したものです。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の言葉で知られています。

先日はクリーブランド美術館展で、伊勢物語から着想した絵を鑑賞したけど、
やはり芸術は、芸術を生むんですね。

門の真ん中上部に「考える人」がいるのがわかりますでしょうか?
「考える人」は、もともとこの作品を構成する群像の一つとして作られた物。
地獄の門の上で熟考するダンテを表そうとしたものであると言う説もあるそうです。

考える人

拡大版の考える人もいます。

病める子ども

さてさて、常設展の奥で開催されている
「生誕150周年記念 国立西洋美術館所蔵 エドヴァルド・ムンク版画展」
モネのチケットを持っていると、無料で見られます。

ムンクは晩年までの50年間のうちに、
総計約850点もの版画作品を生み出したそうです。
油絵と同じタイトルの作品も版画で作られています。

こちらは、「病める子供」
14歳で亡くなった、お姉さんを描いたものです。

ムンクは子供の頃から不幸の連続で、
母親が33歳の若さで結核で亡くなり、
そしてこの版画に描かれている姉が同じ病で亡くなっています。
母親の死後、父親は狂気の一歩手前まで精神を侵されます。

ムンクは幼児期について
「病気と、狂気と、死が私のゆりかごの番をする黒い天使たちであり、
 生涯私に付きまとって離れなかった」
と、語っています。

なので、生と死、迷える精神などをテーマにした物が多いですね。

マドンナ

こちらも油絵版が有名な「マドンナ」の版画版。
別名「受胎」といい、版画版だけに、精子や胎児が描かれています。
油絵の方はお腹がぽっこりしています。

ちなみにこれが描かれたのが1895年。日本でいえば明治28年。
明治時代に精子や胎児だったのか。
なんか不思議な感じ。

アルファとオメガ3

ムンクは1908年に精神病の治療のため8ヵ月間の入院生活を送ります。
その時にお医者さんに勧められたのが、治療の一環として物語を書くこと。

そして描いたのが「アルファとオメガ」という物語。
男女が出会い、愛し合い、そのうち嫉妬や怒りやすれ違いが生じ、
最後には破滅に向かうというお話です。
アダムとイヴから着想していて、
これだけ聞くとエヴァンゲリオンみたいじゃないですか?

19枚の版画と文章から構成されているいるのですが、
超かいつまんで、意訳で、紹介します。

アルファ(男)とオメガ(女)は島の最初の人間。
二人は出会い、毎晩身をよせて愛し合いました。

アルファとオメガ5

ある日、家に帰るとオメガが蛇つかみ輝く瞳を見つめていました。
不気味に思ったアルファは、ある日、その蛇を殺します。

オメガと花

徐々にその頃からオメガがおかしくなり、
森の動物や魔物たちとかかわりをもつように。
花で口を隠すようになり、気まぐれな性格に。
島の生活に退屈し、泣いて暮らしました。
そして、ついに島を逃れ、外の世界に。

アルファとオメガ16

ある日、自分の子供を名乗る物達が、アルファのもとにやってきました。
それは豚、蛇、猿、野獣の子どもや人間もどきだったので、
アルファは打ちひしがれてしまいます。

アルファとオメガ17

絶望するアルファ。
アルファは不思議な叫び声を聞いて耳をふさぎました。

「ムンクの叫び」にも通じるこの1枚。
ムンクの叫びは、ムンクが叫んでる絵だと思っている人が多いですが、
自然の中の叫びを聞いて、怖くなって耳を塞いだという絵です。

実際にムンクは精神を病み始めた頃から幻聴をよく聞いていて、
そこからの恐れに着想して、描いた絵と推測されます。

アルファとオメガ18

ある日、オメガが戻って来ます。
近くに腰を下ろしたので、怒ってオメガを殴ったら、
オメガは死んてしまいました。

アルファとオメガ

オメガを死なせ呆然としているアルファ。
その時、背後から化け物化した子供達に襲われて、殺されてしまいました。
そして、島は破滅し、化け物達しか残りませんでした。

二つが融合する事で破滅が訪れる。
もうエヴァンゲリオンの人類補完計画とセカンドインパクトでしょ。
もしくは、ちょっとずつ狂気の世界に引きずり込まれる、
園子温監督の映画みたいじゃないですか?

冒頭で、ダンテの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌から、
ロダンの考える人が生まれたという話しをしましたが、
こちらの「アルファとオメガ」。
この絵を見たイスラエルの作曲家で指揮者のギル・ショハットが、
このタイトルのオペラを書いています。
2001年にイスラエル・オペラで世界初演。
日本でも上演されています。

美術に限らずクラシック音楽、アート音痴な自分ですが、
こうしてつながりを辿っていくのは楽しいです。
学生時代にこういう気持ちになれてば、また違う道が開けたのかもね。

ムンク

病んでたムンクだけど、その後、
「雪の中の労働者たち」とか力強い作品も残しています。
こちらも常設展にあります。

現代は病んでるというけれど、
ムンクに限らず、モネも「舟遊び」を描いてた頃に気が狂いそうになったそうだし
ゴッホもピカソも、みんな病んでた。
特にアートにふれると、誰しも病みの時代があった事に気づかされる。

だから、昔から「精神的な病み」はあったのだろうけど、
アートの世界の根を詰めるオーバーヒート状態
「考えすぎ」が、今は一般化したのかなと。
ロダンの考える人にも、そういう意味合いはあるんだろうか?

リセット出来ないストレスの蓄積と、考えを改められない不器用さ。
これしか正しい道がないとつきつめていくと、
道に外れている事も気づかず、もう後戻り出来ない。
自分は正しいと思っているのに、病んでる人扱いになるよね。
そして「自分はおかしくない」という負のスパイラルへ。
昔、そういう時があったなあ。

賛成も反対もあれば、右も左もあるし、
所詮人の意見なんて十人十色の一つでしかない。
だから、いちいち人の意見なんて気にしてちゃダメ。
万人に好かれるとかありえないし。
それを悟るまでは、時間がかかるよね。
流行りなんて所詮、十人十色が、十人三色になったぐらいとか、
なかなか気づけないよね。

でもさ、ヲタクと同じでちょっと好奇の目で見られるぐらいの方が、
いいんだと思うな。
だって一般常識をふりかざす人って、面白い人いないよね。
10歩外れると変人と言われるんだろうけど、
半歩から1歩は人と外れたいよね。

ただ今、午前2時。
焼酎のお湯割りを飲みながら、最後はわけのわからない事を書いています。
ムンクの叫びではなく、個人的な叫びを、ちょい漏れぐらいで書いてみました。

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