ラーンガイ(江古田)

ラーンガイ

すっかりお馴染みの江古田のラーンガイへ。
年末進行で、もろもろ仕事の準備が前倒しになっていて、
週末も調べ物だとかあって、なかなか出かけられません。
そこで、さくっとご近所のお店へ。

メニュー

この日は、パッタイの気分だったのだけど、
遅めのランチだったせいか、残念ながら売り切れ。

ガパオ

そこで、定番のガパオガイの目玉焼きのせで、570円。

ところが、料理を待っている間に、
クリスマスのローストチキンの予約に来るお客さんが多数。
そこで、ローストチキンを追加してみる事にしました。350円。

丁寧にローストした感じで、パリっというよりも、
少しジューシーさが残るような焼き上がり。
鶏もも肉がしっとりしています。

ところで雑学定番ネタですが、
クリスマスにチキンを食べるのは、日本だけというネタがあります。
正確に言うと、ケンタッキーフライドチキンを食べるという行為。

元々、アメリカでは、クリスマスには七面鳥を食べます。
ただ、日本人も「おせち」という風習が薄れてきているように、
アメリカでもチキンで代用するという人もいます。

ただ、日本では恋人達の為のクリスマスという色合いが強いですが
アメリカでは、家族で過ごす為の日である為に、
奧さんやお母さんが手料理を振る舞う日。
なので、ファストフードのフライドチキンを食べるという風習は無いのです。

日本でクリスマスにチキンを広めたのは、ケンタッキーフライドチキン。
オフィシャルサイトにも書かれていますが、

日本に住む外国人の方が青山店で「日本ではターキーが手に入らないので、
KFCのチキンでクリスマスを祝おうと思う」とおっしゃって来店されました。
これにヒントを得た営業担当者が
『クリスマスにはケンタッキー』を広くアピールしようと考えたのです。
そうして、初のクリスマスキャンペーンは1974年12月1日に開始、
以降、KF Cでは毎年全店でクリスマスキャンペーンを実施しています。

とあります。
そこからチキンが広まり、こうしてローストチキンも売り出されるようになった訳です。

うちは田舎だったので、子供の頃ケンタッキーフライドチキンは無かったですが、
誕生日だとか、ご馳走の日には、ローストチキンを食べるという風習はありました。

1度、マンガに出て来るような鶏の丸焼きを食べたくて、
母親に頼んで買ってきて貰ったら、
意外と小骨が多くて、食べづらかった事を思い出しました。

ローストチキンって、みんな色々思い出あるんじゃないでしょうか?
食べ物一品にしぼっての思い出調査、
ラジオでやったら面白いかもね。

■多国籍屋台 RAN GAI ( ラーンガイ )
■東京都練馬区栄町39-2 新角田ビル 1F
■営業:11:30〜19:00
■定休日:不定休
場所はこのへん
お店のサイト

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園子温監督作品「自転車吐息」

自転車関連の映画を調べていたら
園子温監督の作品に「自転車吐息」なる作品がある事が判明しました。

「ぴあ フィルムフェステイバル」に
『男の花道』という8ミリ映画を出し、
その年のスカラシップ(制作補助金制度)に選ばれたて撮ったのが、
この「自転車吐息」。

つまり、園子温監督にとってのプロ初作品です。

【あらすじ】
友人たちが出て行ってしまった田舎町で、
3年目の浪人生活を続ける北史郎と友人の圭太。
史郎は元旦の誕生日の直前、20歳が終わろうとする年の暮れに、
さえない毎日を送る自分が嫌になり、圭太を誘って町を出る決心をする。
そして圭太の気持ちをかきたてるために、
高校時代に友人と製作し未完成に終わった映画『一塁』の
続きを撮影することを提案するのだが……。

制作金補助とは言っても、大金がかけられる訳ではないので、
園子温監督が主演をつとめるほか、
監督の父親や母親、友人達が出演するので、
演技もつたないし、若さゆえの粗さも目立ちます。

見始めてしばらくは、意味不明な部分も多く、
自主映画にありがちな、若さが作らせた自己満足系かと思っていました。

でも、次第にちゃんと第三者的視点で描いている事がわかって来ます。

青春で迷走や葛藤する登場人物達の奇妙な行動に対し、
「おかしいんじゃない?」「変な人」
と、第三者のポソっとした発言が現実に引き戻します。

ここでの「自転車」は、いつまでも大人になれない男達の象徴。
現実的な女性達は、その自転車をあっさり捨てたり、
車に乗り換えたりして、大人になっていくのに、
いつまでも男達は、自転車(青春)にしがみついているのです。

それが、映画のテーマになっています。
のちに、園子温監督のこの映画にたいするインタビューを読んだら、

プロ初作品を撮るにあたって、プロと戦っていた

と語っています。

自分の8ミリで培ってきたものを、決して捨て去る事なく、
馴染ませねばならなかった。
多くの8ミリ作家はここでつまずいてきた。
簡単にいえば、プロに「負けて」いくのである。
自分を捨てて、あたかもそれまでの自分が無かったかの様に、
きれいサッパリ「プロ」へと「転身」していく。
そんな人をいっぱい見てきた自分にとって、この現場は、闘争だった。

この映画の中での「プロ」を象徴するのは、女性達の視点でしょう。
大人であり、常識人であり、妹さえも、兄の不甲斐なさを感じている。

だからこそ、大人になれない男達のこだわりが、
常識人からみれば奇妙奇天烈に映る。

未練や後悔を引きずったままた意固地になって生きる男達は、
気持ちの断捨離が出来ない、心のゴミ屋敷のようです。

「ひきこもり」「ストーカー」「自殺」「家族との断絶」
後に、園子温監督が得意とする、
ずるずると闇に引き込まれ堕ちていく人達をテーマにした作品、
その源泉がここにある事が、はっきりとわかります。

この映画を作っていた自分を、園子温監督は、こう語っています。

私は、二十五才だった。
そして、「今だに十八才で立ち止まっている自分」と格闘していた。

ラストシーン、人は誰かの決めたルールや価値観で歩いている
そんな事を一発で表現しているシーンがあるのですが、
若さゆえの粗さが、大人になった自分にトゲとして刺さります。

こういう仕事をしてる人って、下積み時代に
「いつまでも夢見てないで、ちゃんとした仕事につきなさい」
…て事を、親やまわりの人に言われながら、
なにくそと思って無我夢中でやっています。
そして、トガってるって言われます。

今の自分はどうだ?トゲ?そんな物はとっくに失って、まん丸じゃないか。
園子温監督が戦っていたプロに、いつの間にか負けていた。
もう一度、立ち上がって戦う力は、残っているんだろうか?

こういうトガった作品だから、
POSデータで並べられる通常のレンタル店には並ばないけれど、
YouTubeほか、Amazonでもストリーミングでレンタル出来るようなってきたので
逆にインディーズ映画にとっては、発展出来るチャンスなんじゃないだろうか?

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