今年は父親の最後を看取っているので、
生きるという事を深く考えさせられる年となっています。
そんな中で読んだ、つんく♂さんの書いた「だから、生きる」が、
心にズシっと来ます。
さらに僕は、ハロプロにまつわるお仕事もさせて頂いてて、
コンサートなどにもご招待して頂き、つんく♂さんの挨拶や声も聞いているので、
本に書かれている時系列が鮮明に甦り、少し胸が苦しくもなります。
この本の第一章は、「予兆」と題し、
2013年8月スタートの「シャ乱Q結成25周年ライブツアー」を行うに当たって
喉の不調と向き合う事になった事が書かれています。
ご本人も、その前から歌を歌う時に声が出にくくなっていたと、
振り返っていますが、ハロプロ好きでライブに通っていた皆さんなら
この頃の声の不調は、気づいていたんじゃないでしょうか?
2013年5月19日に日比谷野外音楽堂で行われた
「Hello! Project 野音プレミアムLIVE ~外フェス~」
ここでBerryz工房の武道館発表の為に現れたつんく♂さん。
ステージで各グループへのダメ出しを順にしながら、
「そして俺!今日も喉ガラガラになってます」
と、自分にダメ出ししています。
その時に僕も「さらに声が荒れたなあ」と思った事を覚えているので、
たぶん、そのもっと前から、声の不調は現れていたと思われます。
シャ乱Qのコンサートツアーの合間に行われた
9月10日の℃-uteの日、武道館コンサート。
お客さんが退場してからの関係者挨拶につんく♂さんが現れ、
声が出ないのを侘びながら、来場した関係者にお礼を述べていました。
最後、℃-uteのリーダーである矢島舞美さんが
「また、武道館に立てるように頑張ります」
と、挨拶すると、つんく♂さんは
「同じでいいの?」
とツッコミ、矢島さんが慌ててて
「あああ、あの横浜アリーナとかでも」
と、言ったのを鮮明に覚えています。
その後、℃-uteは横浜アリーナSOLD OUTを実現させます。
ページをめくりながら、そんなシーンが甦ります。
ああ、あの時か。
そうか、あの時だったのか。
本は何章かに分かれているのですが、
●喉の不調から癌と発覚するまで
●癌と闘う日々
●若い頃の不摂生、セカンドオピニオンを受けなかった後悔
最初は癌が発覚してからの、つらい日々が綴られていきます。
ところが、この本、読んだ後は、力強く前向きに、
そして少しHAPPYな気持ちにさせられます。
声を諦めても「だから、生きる」と決めた理由。
どれだけ素敵な奧さんと出会って、
可愛い子供に恵まれて、
どれだけ愛しているのかが、熱く綴られているのです。
独身時代は、
女をコンサートに連れてくるバンドマンはダメだ。
女の為、プライベートを優先させるヤツはロックじゃない。
そんな、ロックミュージシャン像を持っていたつんく♂さん。
それが、いかに薄っぺらい考えだったか、
心から愛する人と出会って、自分が変わって行った様も正直に書かれています。
モーニング娘。’14のニューヨーク公演、
医者に止められているにもかかわらず、つんく♂さんは観に行く決断をします。
これを見ないと、この後に訪れる山を越えられない気がしていたのです。
家族のために生きるという、大きな山。
自分の作った曲がニューヨークに流れている。
自分の作ったグループが歌い、現地の人達が熱狂している。
それを確認した後、帰りの飛行機の中、
自分の中で「歌手つんく♂」とのお別れをします。
そして、娘さんにこう言いました。
「お父さんの声、もうすぐ無くなっちゃうかもしれない」
「小さい声なら歌えるようになる?」
と聞き返す娘さん。
「そうじゃなく、もうずっと歌えなくなる。
だから歌を教えてあげる事も出来なくなっちゃうな」
すると娘さんは、こう話しました。
「わかった。じゃあ私がお父さんの分まで歌うね」
ゲーム『リズム天国 ザ・ベスト+』の作中で使われている曲『I’m a lady now』
これを歌うのは、当時6歳だった女のコ「Hotzmic」
この映像は公式にはアナウンスされていませんが、
つんく♂さんの娘さんでは?と、噂されているものです。
モーニング娘。’14のニューヨーク公演を観て、
誰かの体を分身のように借りて、
まだまだ音楽表現が出来る事を確認した、つんく♂さん。
だから声を失っても「生きる」事を選択しました。
本を読んだあと、最近子供が生まれた友人夫婦の顔が思い浮かびました。
そんな人達にも読んで欲しい本です。