イル・ポスティーノ

1950年代。ナポリの沖の小島に、チリの国民的詩人ブロ・ネルーダが亡命してきた。
島の貧しい若者マリオは、
世界中からこの詩人へ送られてくる手紙の配達人を引き受ける。
ネルーダとのささやかな交流の中で、次第に言葉の美しさに魅せられていくマリオ。
島のバールで働く美しい娘に恋心を抱く彼は、ネルーダの励ましを受け、
愛の言葉を彼女に送り続けた…。

岬の先の一軒家に住む詩人。
その家に向かう、美しい海の見える道を、郵便屋さんは自転車で配達に向かいます。
自転車は、あくまでも仕事の道具。
しかし、田舎を走る自転車の速度が、
この映画を作る上での肝となっているのです。

詩人に憧れる郵便配達人は、どうやったら詩人になれるのかを尋ねます。
その答えは
「入り江に向かいゆっくり岸を歩きなさい」

郵便屋さんは、その教えを守り、ゆっくりと海沿いを歩きます。
そして、波がひいては返す様子、空の様子、入り江の自然、
様々な美しい瞬間、一場面に気づき、それを言葉にしてみるのです。

その詩人の教え同様、ゆっくりと走る自転車を追う映画のカメラは、
イタリアの田舎町の美しさを、映しだして行きます。

途中、詩人に比喩、隠喩の方法を教えてもらうシーンがあるのですが、
最近「母さん、マジ、感謝」みたいな直接表現の歌詞ばかりを多く耳にしていたので、
そこに込められた、間接的な美しい言葉の表現に
心洗われるような感動がありました。

電車や車から見える風景。
スピードが上がればあがるほど、遠くの風景しか見えなくなってきます。
きっとその移り変わりに、頭の中の情報処理能力が追いつかなくなってくるのでしょう。

でも自転車なら大丈夫。
ミュージシャンの皆様、自転車で走ってみると、
作詞の際に頭に浮かぶ光景が、少し変わってくるかもしれませんよ。

英国アカデミー外国語映画賞
日本アカデミー外国作品賞

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サイドカーに犬

芥川賞作家・長嶋有の同名小説を竹内結子主演で映画化。
80年代初頭を背景に、小学4年生の少女・薫と、
自転車に乗って突然やって来た父親の愛人・ヨーコが過ごす刺激的なひと夏を
ノスタルジックに綴る。

家出した母親の代わりに御飯を作る為、父親に頼まれてヨーコさんがやってくる。
自転車に乗って。

「この自転車高いんだ!ドイツ製」
というのは、緑色のクロモリフレームのドロップハンドル。

革ジャン着てバイクにまたがらなくても、
歌舞伎町のキャバレーで働かなくても、
竹内結子さん演じるヨーコさんが、ドロップハンドルの自転車に乗っているだけで、
十分ハードボイルドに見える。
そしてこれがこの映画のキモだったりします。

ストーリー自体はそんなに起伏のない、どこかにありそうな話。
最近、この手の映画が好きでよく見るのだけど、
自分でもなぜ好きなのかはわかりませんでした。
でも、この映画を見て、わかったのです。

歯が溶けると母親に禁止されているコーラ。
その話をすると、ヨーコさんは鼻でわらい「飲んでみな」と缶を渡す。

そんな風に、母親がいなくなってから、親に禁止されていた事が次々と解禁となる。
無理と思っていた事を「やってみなって」と背中を押される。
普通の生活の中に潜む、小さな冒険が次々と生まれるのです。

大人になった今…
「ラーメン屋に一人で入るのなんて無理」
「個人経営の喫茶店なんてわけわかんないから、スタバがいい」
そういう人に、ヨーコさんならきっと笑いながらこういうだろう
「入ってみなって!美味しいぞー」

「リア充」なんて言葉が生まれるのは、
リアルが充実していない人が、山ほどいるからだ。
ここの所、こういう映画が多く作られるのも、
買い食いだの、日常の中の小さな冒険でさえした事がない人が多いから、
そんな小さなイケナイコトが、人をドキドキさせるからだろう。

それまで自転車に乗れなかった少女に、ヨーコさんが言う。
「自転車乗れるようになると世界かわるよ〜大袈裟じゃなくてホントだから」

今でこそ、ドロップハンドルやクロスバイクに乗るチャリガールは普通にいます。
でも、でもこの映画の世界である30年前には、そんな女性はほとんどいなかったハズ。
だから、ドロップの自転車に乗って颯爽とあらわれるヨーコさんは、
とても、カッコいいのです。

そして、ヨーコさんのセリフをまねてこう言おう。
「ロードやクロスに乗れるようになると世界かわるよ〜大袈裟じゃなくてホントだから」

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