お花見

花見

日曜日にお花見をしました。

青森、岩手、宮城、福島。
参加者の中には多数の被災地出身者が含まれていました。

参加にあたって、東北の物を持ち寄ろうという事に。
youtubeでもお花見のお願いをしていた、日本酒の南部美人。
被害の大きかった釜石の浜千鳥、宮城県塩竃の浦霞。
岩手県の銀河高原ビール、茨城県の常陸野ネスト。

つまみも、仙台の笹かまぼこ、牛タン、
釜石のホヤの塩辛、岩手県宮古市のいくらの醤油漬け。

故郷である宮古市の「いくらの醤油漬け」のお店に電話してみたら、
商品は津波を免れたのであるのだけれど、
クール便が配達の受付を中止しているので、発送出来ないとの事。
盛岡にも支店があるというので、盛岡の弟にお願いして送ってもらった。

参加者の中には、今回の震災を期に、逆に、故郷へ帰る決意を固めた人もいる。
その送別会も兼ねている。

ACのCMで「思いは見えないけど、思いやりはみえる」という物があった。
裏を返せば、いろんな思いのつまったお花見だけど、その思いは見えず、
他人からはただの宴会にしか見えなかったろう。
苦々しく思ってた人もいるだろう。

写真は真実を映し出すというけれど、その逆もある。
テレビの映像や写真は、その一部を切り取り、それが全てだとウソをつく。
今回の震災を通じて、一番感じたのはそれだ。

ならば、いぶかしげな物を、あえてウソっぽく映し出す事は出来ないかと、
トイカメラを探し始めた。
この写真は、 NeinGrenze 5000Tというチルトレンズを搭載したカメラで、
発色もオーバー気味で、プラスチックのおもちゃのように取れるカメラ。

そんなお花見をウソっぽく撮ってみた。
被災地の方からすれば、同じ日本でウソのような光景に見えるだろう。
でも、こんな幸せな光景も、いつか一瞬で消え去ってしまうかもしれない。
現に消えてしまった場所があるのだから。

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お花見について

もう、あれから1ヶ月がたとうとしていますね。
何事もなかったかように、桜も美しい花を咲かせています。

そんな中で花見は自粛すべきか、
経済をまわす為にやるべきかなんて論議が巻き起こっています。

というか、答えは一つしかないんですか?

この時期すべき事。
被災地のためを思って祈る事。
募金をする事。
物資を送る事。
節電する事。
被災地の産品を買って産業を支える事。
経済をまわす為にお金を使う事。

それぞれが、いろいろある中で、やれる事を全部やったらいいじゃないですか。

今から一ヶ月前にこう書きました…
自分の故郷、岩手県の宮古市が被災した時、一番思ったのは、
一律こうすべしという論調でしか物を語れない人が多いのへの驚き。

それぞれが自分が信じる正義感を振りかざし、
意見の違う人を同調させてようとし、揉めごとを作り出します。
「良かれ」の強制が、次々に新たな問題を生むのです。

被災と一口で言って同じ論調で語るけど、事情は色々違うし、
場所、被災の程度、環境によって、それぞれ事情も感情も、して欲しい事も違うのです。

普段からマスコミ批判する人が多いハズなのに、
自分の目で見たり、調べたりせずに、マスコミが流す情報に踊らされている人も多い。

「ボランティアは今駆けつけると迷惑…」

そんなマスコミの情報を全てだと鵜呑みにしてる人が多いのですが、
・今こられても食料も宿泊も提供出来ないので、今は来ないで欲しいという地区
・ある程度、受け入れ状況は整ったので、猫の手も借りたいという地区
両方あるのです。
それを一律「ボランティアは今駆けつけると迷惑…」という風潮になり、
人手が欲しい所にもいかず、復興が滞る原因となっているのです。

花見の件もそう。
身内を亡くした人が、花見をしている気分じゃないと思うのは当然です。
でも、地元の経済を救う為に地酒を買って花見をして欲しいと訴えた
被災地の酒蔵もあります。
当然、賛否両論、不謹慎、自分だけ儲ける気かなんて意見も出ました。
壊滅した地域の杜氏を雇い雇用を増やす為に、必死で酒を売っている酒蔵もある事
それを知ったうえで、今の時期、酒は悪と批判してるのでしょうか?

岩手の陸前高田市では、日本百景にも選ばれた7万本の松の林が流され、
街は瓦礫の山に。
その街を見下ろす高台に避難した人達は、高台に唯一残された桜の下で、
再起を誓って花見をする事にしました。
後世に語り継がれる花見にしようと。

それを伝えるブログにも、こうコメントがつきました。
「この時期に花見をするなんて不謹慎ですね」

なぜ、花見という単語だけで物事を語るのか…。

花見をするか、しないかなんて個人の判断でいいし、
学校の先生や政治家のセンセーに決めてもらう事でもない。
花見と一口に言うけど、
立ち止まって見上げるだけ、
お茶を飲みながらながめるだけ、
酒を飲みながら被災地に思いをはせる人、
被災地の産品を買い集めて花見をする人、
再起の決意をこめて、被災地の現場で花見をする人、
被災地とは関係なく普段通りの花見をしたい人、
スタイルは色々ある。
全てが夜桜をライトアップして泥酔するまでどんちゃん騒ぎする花見じゃない。

「花見は自粛せよ」っていうけど、それっておかしくない?
自粛とは、自分から進んで、行いや態度を慎むこと。
他人が強制する物ではありません。
そういう意味で言うなら「花見は中止せよ」じゃないのかな?

ともかく、今は、人に何か言われてどうかするのじゃなく、
自分が人の為になると思う事を、自分で考えてしたらいいと思います。
方法は違っても。

今は、祈るべきと思う人、必死で祈りましょう。
今は、経済を回すべきと思う人、どんどん回してください。
どうぞ、今、自分にできる事、復興の為に正しいと信じる事をしてください。
そして、自分の考えと違うからと、批判したり強制しないでください。
復興の方法は一つじゃないし、それぞれ出来る事が違います。

花見は被災地の為にならないと思う人は、自粛してください。
花見は被災地の為になると思う人、どうぞ花見をしてください。

どちらも正しい。どちらも間違っていない。
僕はそう思います。

桜

こんな時だからこそ、上を向いてあるこう。
悲しみの中にも、希望が見つかりますように。

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