僕の周りでも賛否両論多い映画だ。
この映画が封切られた当初、ジブリというイメージだけで、
母親達が小さな子供達を連れて映画館を訪れ、
「トロロやポニョみたいなキャラが出てこない」
と、怒ったという記事を見て、
それは、勝手な思い込みだろと、笑っていました。
がしかし、自分も同様の間違いをしてしまいます。
「零戦設計者の天才技士、堀越二郎を描いた」
という言葉から、零戦や零戦の設計エピソードが出てくる物だと思い込み、
期待して見に行きましたが、どちらも出てきません。
正確に言うと、零戦は最後の方にほんの一瞬出てくるだけ。
後に神話と化した零戦を完成させた飛行機の設計技師・堀越二郎をベースに、
同時代を生きた文学者・堀辰雄のエッセンスを取り込み
とあるけれど、どちらかというと、
「風立ちぬをベースに、飛行機設計技師のエッセンスを取り込み」という感じだ。
零戦の設計技師の堀越二郎
この言葉を使わずに「若き航空技師の恋を描いた作品」ぐらいだったら、
何の文句も無く観られたような気がします。
のちに宮崎駿監督もインタビューで答えているけれど、
零戦のデビューは日中戦争な訳だから、
零戦を描く為には、中国や朝鮮半島の空を飛ぶシーンを描かなければならない。
描く事で、その後、どういう問題が起こるのか覚悟して製作に入った。
という割りに、あっさりと旗を降ろしている。
結局、零戦の前の前になる、九試単座戦闘機の設計の所で話しは終わる。
まあ、ジブリも
後に神話と化した零戦を完成させた飛行機の設計技師・堀越二郎をベースに
と言っている訳で、零戦の設計の話しだと思い込んだのは、勝手な自分の勘違いでした。
技術的な解説や航空技術のうんちくを描きたくはないが、
やむを得ない時はおもいっきり漫画にする。
と、宮崎駿さんは言っているのは、夢のシーンの事だろう。
絵としての飛行機は美しく描かれているけど、
何故その飛行機が生まれたのか、その背景については本人の言葉通り、割愛されている。
それは、それぞれの演出方法だから、ご自由だけど、
結果として、ファンタジックに飛行機を飛ばしているだけだ。
「航空マニア向け」との論評もあるけれど、それも違うと思う。
宮崎駿が描くメカニカルな絵が好きって人向けって方が正しいと思う。
結局、堀越二郎の名前を使いつつ、
零戦作りへの試行錯誤、悲劇、葛藤、肝心な所は描かれていません。
天才、完璧主義と言われた本当の堀越二郎という人物像に関しても描かれていません。
何度も言うけど、
「若き航空技師の恋を描いた作品」
これだったら文句はないです。
残念なのは、堀越二郎を知らない多くの人が、
これを堀越二郎の実話だと思い込んでしまっている事です。
留学とか、設定でなぞった部分はあるけれど、これは、フィクションです。
単に、第二次世界大戦直前の恋物語として見に行った方が、感動出来ると思います。
なぜ、ここまで堀越二郎に思い入れがあるかというと、
NHKのプロジェクトXで特集された
戦後、設計した国産旅客機、YS-11のエピソードが好きだったからです。
川崎航空機で、飛燕の設計者でもある土井武夫と、
三菱で零戦の設計をした堀越二郎。
彼らは、東京帝国大学工学部航空学科の同級生です。
この二人は、よくぶつかり、一歩も譲らず侃侃諤諤の議論を戦わせながら、
YS-11と作りあげていきます。
その中で天才達が生み出したアイディアの数々。
そして激務である主任設計者の座から、堀越や土井達が退き、
堀越二郎の後輩、零戦のプロジェクトメンバーだった若手、東條輝雄に引き継がれる。
あの東條英機の息子である。
東條は、若い技術者達を束ね、国産初の旅客機を完成に導くのである。
YS-11お披露目の日、空港には引退していた堀越や土井達がかけつけ、
後輩達が仕上げた旅客機が飛び立つのを、見守っているのでした。
先に、こっちを観ていたから、勝手にそういう映画だと思い込んでしまいました。
プロジェクトXも、零戦の設計の話しは出てきませんが、
YS-11を通じて、飛行機を作り上げる思想やロマンは、感じ取る事が出来ます。
>shinさん
文中にも書きましたが、史実としての堀越二郎を出さずに
文学としての風立ちぬを描いたのなら、何の文句はありません。
事実かと錯覚させるフィクションを描いている事に不満を持っているだけです。
まあ、飛行機好きの勝手な願望なんですけど。
繰り返しになりますが、「一航空技師の恋」なら文句ないです。
僕が観た回は、小さなお子さんも沢山来ていました。
お母さんに「どれがホントで、どれが夢なの?」と聞いていました。
そこから会話が生まれるといいですね。
いつもブログを楽しく拝見しております。
風立ちぬ、私は面白く感じました。
飛行機のパートですが、本当は飛びたい欲望をもつ主人公が、
それを果たせない気持ちを抱えつつも、
飛行機製作に没頭するさまに、宮崎駿の狂気を感じました。
また、風と共に始まり、
風のように去っていった恋愛にも、
執念とエゴイスティックを両立させ、
こちらにも狂気を感じました。
他の作品でもそうですが、
宮崎駿という作家は、身も心も風に乗せて
自由でいられたらどんなに素晴らしいか表現していると思います。
今回の作品は作家性が強く、
より文学的だったのではないでしょうか。
確かに小さな子どもも観にきていて、
これはわからないだろうな、と思いましたが、
それでも、作品を観ることで、
自分からなにかを考えてくれたら良いと思います。
長文、たいへん失礼いたしました。
これからもブログの更新楽しみにしております。