香月泰男展 練馬美術館

ふらっと入った練馬美術館で観た「香月泰男展」が衝撃的でした!

まず、この看板の絵を観て、何の絵だと思いますか?抽象画なので、だいたいでいいです。

僕も香月泰男さんがどんな画家かわからずに、近くに来たし、せっかくだから観てみようかと思い、ふらっと入ったのですが、後で絵の意味を知って衝撃を受けました。たぶん、観ようかと思ったのもいろんな導きがあったのだと思います。

美術館の前にはカラフルなキリンが飾られていて、そのまわりで子供達が遊ぶ姿がありました。

自転車を止めようとしたら、隣には「NO WAR」というウクライナ侵攻に反対するプレートを掲示した自転車が。

こんな風な風景を目にしながら、なんとなく入った「生誕110年 香月泰男展」。

入ってからどんな展覧会なんだろう?と案内に目をやると、太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いたシベリア・シリーズで大きな足跡を残した画家の展覧会との事。

この展覧会は、2月6日スタートで、ウクライナ侵攻の前から開催されています。しかも、その前は他の美術館で開催されているので、練馬に来た後に、ウクライナ侵攻が始まった事になります。さっきの「NO WAR」とか、点と点が繋がっていきます。

1階は、香月泰男の作風が出来るまでという展示で、ゴッホや浮世絵に影響されて構図を学んだり、試行錯誤していた頃の作品が展示されています。その中で今後の作風の元となったのが、描きたい物の立体を学ぶ為に、先に木像を作った事。精密ではなく、荒削りな木像。


こちらはフリー素材のサイトからダウンロードしたモアイ像ですが、こんなイメージの木像です。そして人をその木像風に描く事で、半分抽象画のような作風が出来上がって行きます。本人も「簡単に理解されたくないが伝わらないのも嫌だ」と、抽象画の程度を研究していたようですが。

そして名を馳せたのが、太平洋戦争で捕虜としてシベリアに抑留された時の体験を描いた、シベリアシリーズ。

想い出ははっきり描くとウソになると、夢の中と同じモノクローム基調で描くようになります。白と黒というより、黒と黄土色という感じの。


「戦争」が生んだ絵、奪った絵

こちらは本の表紙にもなった「涅槃」という作品。収容所で無くなった遺体達が並べられており、それをスケッチした物です。

その他、敗戦後、貨物列車に押し込められた捕虜の顔など、生気を無くした兵隊達の顔が、無表情のモアイ像のような感じで描かれていきます。

ドキっとしたのは、毛布にくるまれた遺体を描いた「雪」という作品。その解説文には「遺体から霊だけが抜け出して故郷に帰る。残された者は先のわからぬ苦しみが続く。苦悩から解放された死者を羨ましいとさえ思わずにいられなかった」と綴られていました。

展示室に入る際、入り口右手のテーブルに、展示されている作品の一覧と、本人が絵を解説した「自筆解説文」がありますので、その2枚をもらって、絵を観て「何の絵だろう?」と自分になりに感じてから、解説文を読んでみてください。謎解きのようですが、読むとドキリとする言葉が並んでいます。

米印のような「*」の幾何学模様が何重にも重なった作品がありました。何だろうと思って解説を見ると「荊(いばら)」という作品で、収容所を囲む有刺鉄線を描いたものでした。そして説明文には「外部からの侵入を防ぐためと説明されても、やはり動かしがたい捕虜としての実感」と綴られていて、「ウクライナを守るため」という都合のいい言い訳で侵攻したロシアは、また同じ事をしているのだなあと実感しました。

美術館に入る前に、カラフルなキリンのまわりで遊ぶ子供達の風景を見ていたのに、いつの間にか引きずり込まれたモノクロの世界。大瀧詠一の「君は天然色」の一節に「想い出はモノクローム」という歌詞がありますが、あれは松本隆さんが、妹さんを亡くした時、ショックで色が見えなくなってしまった体験を書いたものです。なんか、展覧会を見終わってそんな体験をしたような感じにつつまれ、少し苦しくなりました。

最後に答え合わせ。こちらの作品は何を描いた物だと思いましたか?

こちらは「渚」という作品です。シベリアでの抑留が解かれ帰国する前日、港のあるナホトカまでたどり着いたけど、一晩、砂浜で過ごす事になった時の情景を描いた物です。黒い夜の海に描かれた白い点々は、よく見ると人の顔で、「気がつけば、日本の土を踏む事なくシベリアの土となった仲間達の顔を描いていた」との事。

この写真を撮った後で考えさせられたのは、絵の下に幸せそうな親子の姿が写っていた事。戦争はこんな幸せ風景を一瞬で奪ってしまう物です。戦争を体験した人が、どんな思いでこの絵を描いたのか、解説を読みながら知った事で、TVのニュース映像見るより、なにかズシンと重たい物を感じました。

「香月泰男展」は、3月27日までです。

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和田誠展(東京オペラシティ アートギャラリー)

平野レミさんを番組ゲストに迎えるにあたり、旦那さんである和田誠さんの展覧会に行ってきました。

館内は動画とフラッシュによる撮影は禁止で、それ以外は撮影可。

右下に初代林家三平の似顔絵がありますが、その孫である林家たま平が今回の番組DJ。平野レミさんも林家一門、女将さんである海老名香葉子さんや、林家正蔵(こぶ平)さんとも交流があり、その息子の林家たま平に、こんな大きな子供がいたの?と驚いていました。

現・林家三平(いっ平)さんの襲名披露のポスターも和田誠さんの手による物。

展覧会は「和田誠が出来るまで」というコンセプトで、幼少の頃のお絵かきから、亡くなるまでの作品を年代順に追っていきます。

小学校1年生の時の絵日記がすでにこのクオリティ。

学校では絵を描くことを指導されるので、学校で絵を描くのは好きではなく、家で自由に描くのが好きだったそうです。

自分は、絵や音楽など習い事をしたものは何一つ身になっておらず、習わなかった文章だけが仕事となっています。確か絵も好きだったのですが、上手く描かなければと思ってから、お絵かきイップスのような状態になってしまった気がします。

24歳の時にデザインしたのが、ご存じハイライトのパッケージ。

41歳の時にスタートしたのが、文春の表紙のお仕事。

1977年5月から2017年7月に2000号を迎えるまで、40年という長きにわたって表紙を描き続けました。ちなみに、現在も過去に掲載された作品を採用するアンコール企画が継続中です。

こちらが和田家を表すような一枚。平野レミさんのレシピを、当時子供だったTRICERATOPSの和田唱さんと、次男の和田率さんが描いたイラストで和田誠さんが、料理本化。

番組でも伺ったのですが、そんな和田家の家族愛が素晴らしかったです。

↓平野レミさんの歌に続いて、平野レミさんが家族愛を語るシーンから流れます。

週刊文春の表紙の中に、生前に今回の会場、オペラシティが描かれた一枚がありました。

会場を後にした後、似たような場所を探して、歩道橋の上からパチリと一枚。

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