万定フルーツパーラー(本郷三丁目)

万定フルーツパーラー

古民家系のカフェも好きなんですが、
リノベーション系ではなく、古い歴史でそのまま古民家になった
老舗めぐりをしようと思いました。
思い浮かんだは、文京区の本郷。
喫茶ルオーの時に、この周辺を散策したのですが、
本郷は戦災から逃れたせいか、木造建築を含めた古い建物が数多く残っているからです。

本郷で長い歴史を誇るといえば「万定フルーツパーラー」。

看板

看板に描かれがこの図形は、カレーライスとスプーンだと思うのですが、
その上の丸い物は、家紋?

看板

名前は「万定」と書いて「まんさだ」と読みます。

店内

創業は大正時代と言われています。
ネットでは大正3年だとか、9年、13年と年代はバラバラなのですが、
ともかく、その創業というのは、この建物の事ではなく、
この隣の表通りに面している所で営業していた果物屋さんの事だと思われます。

そしてこの建物に関しても、大正3年派と昭和3年派に分かれています。
こんな事なら、ちゃんと聞いてくるんだった…。

あくまでも予想ですが…。

果物屋として創業したのち、
隣りで果物を使ったジュースを飲ませる喫茶店を開業したとあるので、
昭和3年が有力なんではないかと思います。
奥様も、「私もこの建物と同じぐらいの年なんですよ」と言っていたので
大正3年だとすると100歳近い事になっちゃいますものね。
機会があれば、ちゃんと取材してみたいと思います。

カレーライス

カレーライスは、750円。

カレーは昭和30年代からメニューに加わったのだそうです。
昭和チックなカレーというと、小麦粉を使った「もったりカレー」を想像しがち。
でも、こちらはサラサラのカレー。
しかも「黒カレー」として売り出したくなるような、黒さ。
もしかしたら玉ねぎなどを長時間炒めた黒さかな?
ものすごい香ばしい香りがして、それがこのカレーの特徴ともなっています。

昭和30年代に登場して以来変えていないという味。
これを今のカレーと比べてどうこう言うのはヤボな気がします。
東大で学んだいろんな人達が愛した味を、今も変わらず食べられる。
それだけでスゴイ事だと思うのです。

奥様によく通っていた人を聞いたら、
ノーベル物理学賞を受賞した、物理学者の小柴昌俊さんの名前が出ました。
自らが設計を指導したカミオカンデによって
史上はじめて自然に発生したニュートリノの観測に成功し、2002年に受賞。
ここのカレーを食べながら考えた事が、ノーベル賞に繋がったと考えれば、
すごいロマンがあるように思えませんか?

東大と一括りに言いますが、キャンパスの敷地はかなり横長。
象徴的な赤門をはじめ、いろんな門があるのですが、
お店のすぐ近くにあるのは正門。
そこを出入りするのは、すぐ脇にある工学部の学生が多く、
このお店も、工学部の教授や学生が一番多いのだそうです。

女優の菊川怜さんも工学部の建築学科でしたね。
ネットには、学生時代に菊川怜が通ったお店との記述もありますが、
そう考えると、通ったかどうかは別として、
一度ぐらい行った可能性はあるように思えます。

ちなみに、今、一番来るのは、テレビの情報番組やクイズ番組などによく出ている
東大教授のロバート・キャンベルさんだそうです。

カウンター

この日は、お昼過ぎでお客さんも途切れた所だったので、
奥様と色々お話させて頂いたのですが、
店内の中で、キッチンを囲む半円のカウンター、
ここだけ東京オリンピックの時に改築したのだそうです。
そう聞いてから見ると、ここだけちょっと昭和なビュッフェの雰囲気も。

テレビ

店内に溶け込んでいる、ブラウン管の古いテレビ。
地デジ対策とかでコレが液晶になったらイヤだなあと思い聞いてみたら、
ケーブルテレビをかませているので、すでに地デジ対策済みなんだとか。
うちの事でもないのに、勝手にホッとしました。

店内にはラジカセからFMのラジオ番組が流れていました。
この日は今人気のアーティスト、フランプールがゲストだったのですが、
ちょうどこの雰囲気にひたっていたので、
彼らがはしゃげばはしゃぐ程、なんだかイラっと来ました。
彼らには全く罪は無いのに…。

こんな雰囲気には昭和歌謡が流れているべきなんて、
自分が勝手に決めつけていたのです。
古さを狙って再現した昭和テーマパーク的なお店ではなく、
古い物を大事に使いなら、今を生きているお店なのに。

レジ

レジスターは、1934年、昭和9年から使われているもので、今も現役。

レジ

だから単位には、円と銭がある。

物腰の柔らかい奥様とお話させて頂いたいていると、なんだか癒されます。
また昭和のお話、いろいろと聞いてみたいです。

■万定フルーツパーラー
■東京都文京区本郷6-17-1
■営業:11:00~15:30
■定休日:日曜
場所はこのへん

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喫茶ルオー(本郷)

標識

練馬区の江古田という学生街に住んでいるせいか、学生街と呼ばれる場所には、非常に興味があります。そこには昔から愛されてきた「喫茶店」があるからです。今回目指したのは、文京区にある本郷。

池袋を抜けると、本郷まで5キロという標識が。意外と近いんですね。

都電

途中、都電とクロスし、あとは春日通りをひたすらまっすぐ行くだけです。

富坂

楽勝と思っていたら、大きな落とし穴が。文京区のシビックセンターが見えて来たあたりから下り坂に。地名には富坂とあるように、ここは坂の町なのです。

電車や車ではなかなか体感出来ないのですが、地名は地形を表している事が多く、四谷や渋谷など、谷のつく知名の所には、谷があり、地下鉄でさえ地下から地上へ顔を出します。そして、赤坂など坂のつく知名の所には、当然のように坂があります。

そしてここ富坂は坂の町であり、ちょうど坂を下ったあたりに後楽園や東京ドームがあるのですが、そう言えば、あの辺で丸ノ内線も一度地上に出ますよね。この辺は谷底になっているようです。

で、ここから本郷へ向かう道は、谷底から這い上がる上り坂に。これがママチャリではけっこうキツかったです。

赤門

坂を登り切ったら、春日通りから本郷通りへ。東大のランドマークともなっている赤門が見えて来ました。

東大の門というぐらいの知識しかなかったのですが、元々は、加賀・前田家の上屋敷があった場所だそうです。将軍家の娘を嫁に貰う際に、将軍への敬意を示すために、お姫様専用の御殿を造ることが幕府から求められ、さらに姫様を迎える専用の朱塗りの門も作らなければなかったそうです。この赤門は、11代将軍家斉の溶姫(やすひめ)が前田斉泰に嫁入りしたときに建てられた門なんだとか。

落第横丁

この付近は、店名に赤門がついた所が多いのですが、赤門の向かいの落第横丁には「赤門美容室」というのがありました。

博多には親不孝通りというのがありますが、あちらは大きな予備校への通学路にもかかわらず、周りにはゲームセンターや飲食店が多く、遊び惚ける浪人生が多かったことから、その名前がついたそうですが、この「落第横丁」には、大正から昭和にかけてビリヤード場や飲食店が多く、遊び過ぎて落第してしまうことから、こう呼ばれるようになったそうです。

いかにも学生街らしいネーミングです。

落第横丁

通りを覗いてみると、昼ご飯を食べ終えた生徒達が、うわーっと出てきたのですが「これから、芝生で昼寝する人〜!」「ハーイ」などと会話をしていました。さすが、落第横丁!

看板

自転車で23区のカフェ制覇の旅、今回目指したのはこちら!

喫茶ルオー

喫茶・ルオー。創業は昭和27年。長い間、大学生や教授達に愛されてきた老舗の喫茶店です。

セイロンカレー

このお店の名物ともなっているのが、こちら!カレーマニアの間でも人気のセイロン風カレー、950円。ちなみに小は850円で、大が1100円です。

カレーを頼むとキッチンに向かって「1つで〜す」と声をかけるオバサン。いちいち名前を言わなくても、1つといえば、セイロン風カレー1つの事のようで、団体さんが来た時は、「3つのうち、1つ大です」と言っていました。

具はポークとジャガイモ。開店当時からの味と言われているこのセイロン風カレー。セイロンというのは、現在のスリランカ。インド洋に浮かぶ島です。

日本のカレーライスは、インドカレーではなく、イギリスカレーが原型と言われていますが、そんな中、インドに近いセイロンの名をつけたこのカレー。このメニューが生まれた当時は、他のカレーと比べて、きっとスパイシーだったに違いありません。しかし、年月がたち本格的なインドカレーが広がった今、じゃがいもが入っているだけで、なぜか、懐かしい昭和の味という感じがしてしまいますが、でも、逆にそれがレトロな喫茶店にマッチして、いい雰囲気を出しているのです。

セミコーヒー

カレーには、セミコーヒーと呼ばれる物がつきます。ハーフの小さいコーヒーです。

コーヒーを頂きながらのんびり。店内を見渡してみると、学生街の喫茶店ではありますが、利用者は学院生とか教授とか、少し年齢層は高めのようです。「学生街の喫茶店」という言葉、そしてお店。学生街にありながら、そんなお店を愛しているのは、学生気分の抜けない大人達のような気がします。

■喫茶・ルオー
■東京都文京区本郷6-1-14
■営業
9:30~20:00(月〜金)
9:30~17:00(土)
■定休日:日曜
場所はこのへん

本郷館

食事のあと、本郷の町をぶらぶら。
そして路地に迷い込むと、威風堂々とした姿の木造の建物が現れました。
ジブリのアニメにでも登場しそうな、レトロな外観。

本郷館

木造でありながら三階建て。
鉄筋ではなく、木造で高層というのが、寺社仏閣に通じるような、
オーラというか妖気を放っているような気がします。
それでジブリが浮かんだのかも。

こちらは「本郷館」と言って、古くからある下宿アパートです。
明治の中頃、本郷には数多くの下宿屋があり、
全国からやって来た学生であふれていたそうです。
そんななかで、この本郷館が建てられたのは、明治38年(1905年)。
それから関東大震災や東京大空襲で、古い建物が次々と姿を消していく中で
しぶとく生き残ってきました。

ところが、災害からは逃れられた物の、建て替えの話が出ているそうです。

本郷館

今も、住人に愛され、本郷の丘にそびえ立つ木造の城「本郷館」。
流れの速い時代の中で、その雄々しい姿を見られるのは、いつまでなのでしょうか?

木造住宅

新しい建物の中に、江戸の香りのする古い建物が残る本郷の町並み。
かつてここに、5千円札の顔ともなった樋口一葉が住んでいて、
その名残があるというので探しに行きました。

井戸

それが、こちらの井戸。
樋口一葉は、この井戸の付近に住んでいて、この井戸を使っていたそうです。
家自体は残っておらず、あるのはこの井戸だけ。
しかも、今はポンプ井戸ですが、樋口一葉の頃は、つるべ井戸だったとか。

路地の奥の奥にあるので、この井戸がなかなか見つからず、ウロウロしていたのですが
同様にカメラを持って、ウロウロしている人達も。
こうしてみると、路地散策をしている人って、結構多いんですね。

路地

皆が迷った樋口一葉の井戸。
そこはこの路地の奥にあります。
今の時期なら、綺麗に咲いた、あじさいの花が目印です。

自転車で23区カフェ制覇の旅…ただ今、8/23区。
1/3制覇です!

地図

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