東日本大震災から1年がたちました。
写真は我がふるさと、岩手県の宮古市が津波に襲われる瞬間。
黒い津波として世界的に有名になった映像です。
googleが選んだ2011年の出来事映像の冒頭にも登場します。
ニュース番組、震災特番、ブログ、ツイッターなどでで
「悲劇を繰り返さない為に」という言葉が連発されているけど、
少し疑問に思える所があります。
本当に、きちんとそういう意味合いを考えられて使っているのでしょうか?
ただのお題目になってやしないでしょうか?
というのも、実は、我がふるさとは、これで4度目の津波です。
「想定外のはじめての出来事」なんて言葉も使われ、
まるで今回が初めてのように報じられていますが、
明治から昭和、平成にかけて、これで4度目の津波なのですよ。
写真は、僕らのふるさとでは、とても有名な場所。
岩肌に引かれている2本の白いラインは、過去にあった津波の高さを示す物です。
上が明治三陸地震の津波で、下が昭和三陸沖地震の津波。
2度の津波で、2度とも町は壊滅しています。
この2度の津波で「ここより下に住むべからず」という石碑が
沿岸の各地に作られた事は、何度も報道されているので、ご存じの方もいるでしょう。
そこで、町を守る高さ10mの堤防を作りました。
別名、万里の長城と言われた二重の堤防です。
この堤防のおかげで、3度目の高さ6mのチリ地震津波は防ぐ事が出来ました。
これで安全神話が生まれてしまったのか、
人々は便利な港の近くに住み始めたのです。
うちの街では、火災などの避難訓練の他に、津波の避難訓練というのがありました。
津波が来たという想定で、高台へ逃げる訓練です。
それ以後、住んでいる間に、何度も津波の警報は流れましたが、
実際の津波は、高くても1m前後。
避難訓練はしましたが、津波の警報で実際に避難した事はありません。
こうして、津波の記憶が風化してきた所で、
今回の津波が、その10mの堤防も乗り越え、町は3度目の壊滅をしたのでした。
1年前、震災の起きたとき「想定外」という言葉が逃げ口上のように使われました。
あれから1年。
安全が確保されたとという事で、いろんな事がまた解禁されようとしています。
安全の確保って、何が基準?
4度の津波に襲われた街の出身者として思うのは、
安直な安全神話と震災の教訓の風化、
どうも、同じ過ちがスタートしているように見えて、しょうがないのです。