南極料理人

この映画をカフェ映画ではなく、自転車映画として紹介しましょう。
何と南極でも基地の隊員は自転車に乗っていたのです。
映画では、GIANTのマウンテンバイクに乗っている姿が映し出されています。

これは映画上の演出ではなく、実際のエピソードに基づく物らしいです。
というのも、アウトドア用品のメーカー、モンベルのサイトで、
南極観測隊員に派遣された人の日記があるのですが、
そこでも自転車で南極を走り、
観測隊員にお弁当を配達する様子が紹介されていました

南極じゃないけど、お弁当を持って、自転車でおでかけというのもいいかもね。
もう少し暖かくなったら。

ところで、この映画、料理がメインなのに、
セリフの中に一度も「美味しい」という言葉が登場しません。
言わずに美味しさを見せていく手法をとっているのです。

カニを食べる時って黙々と食べるだけで旨さが伝わりますが、
この映画は全てがそう。
言葉を発せず一心不乱に料理をむさぼり食うのです。
でも、それが本当に美味しそう。
表情だけで美味しさを表現するのですが、
堺雅人さんが妻の手料理を思い出して涙するシーンも、じんわりきます。

だから、どこかで一度だけ言う「旨っ!」がオチとして生きているのです。

そして、度々このブログにも登場する
フードコーディネイター飯島奈美さんの料理。

CMの料理撮影なんかだと、美味しそうに見せる為に、偽物を使う事があります。
鉄板の上でジュージュー言う肉汁がゼラチンだったり、
ビールの泡をガスで作ったり、
美味しそうに見えるけど、実際には飲んだり食べたり出来ない物がほとんど。

でも、そんな中で飯島さんのポリシーは全部実際に食べられる物。
だからあの美味しそうな表情を引き出す事が出来るのです。

TVのグルメ番組には、
わざとらしくレポーターが迷ったフリをしてお店を探したり、
箸やスプーンなどでの「持ち上げ」というシーンを挿入したり
「肉汁が口の中で広がる」とお決まりのフレーズを言ったりする、
「お約束」というのがあります。

バラエティーで、司会者が何か言うたび、ひな壇芸人が全員立ち上がったり、
画面の隅に四角く切り取られたワイプの中で、
ベッキーや優木まおみさん、矢口真里さんが、笑ったり泣いたり…。
TVは、いつしかこのお約束から抜け出せなくなっているのだけど、
この映画を見ると、そんな方法を取らなくても、いくらでも伝える方法はあるのに
…などと思ってしまいます。

P.S
この映画の最後に登場する言葉をご紹介して、しめくくるとしましょう。

あたりまえのように水が使えて
あたりまえのように外に出かけたりすれば
ますますわからなくなっていく…。
はたして自分は本当に南極になんて行ったのか。

水のパニック買い占めに走っている人達に捧ぐ。

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イル・ポスティーノ

1950年代。ナポリの沖の小島に、チリの国民的詩人ブロ・ネルーダが亡命してきた。
島の貧しい若者マリオは、
世界中からこの詩人へ送られてくる手紙の配達人を引き受ける。
ネルーダとのささやかな交流の中で、次第に言葉の美しさに魅せられていくマリオ。
島のバールで働く美しい娘に恋心を抱く彼は、ネルーダの励ましを受け、
愛の言葉を彼女に送り続けた…。

岬の先の一軒家に住む詩人。
その家に向かう、美しい海の見える道を、郵便屋さんは自転車で配達に向かいます。
自転車は、あくまでも仕事の道具。
しかし、田舎を走る自転車の速度が、
この映画を作る上での肝となっているのです。

詩人に憧れる郵便配達人は、どうやったら詩人になれるのかを尋ねます。
その答えは
「入り江に向かいゆっくり岸を歩きなさい」

郵便屋さんは、その教えを守り、ゆっくりと海沿いを歩きます。
そして、波がひいては返す様子、空の様子、入り江の自然、
様々な美しい瞬間、一場面に気づき、それを言葉にしてみるのです。

その詩人の教え同様、ゆっくりと走る自転車を追う映画のカメラは、
イタリアの田舎町の美しさを、映しだして行きます。

途中、詩人に比喩、隠喩の方法を教えてもらうシーンがあるのですが、
最近「母さん、マジ、感謝」みたいな直接表現の歌詞ばかりを多く耳にしていたので、
そこに込められた、間接的な美しい言葉の表現に
心洗われるような感動がありました。

電車や車から見える風景。
スピードが上がればあがるほど、遠くの風景しか見えなくなってきます。
きっとその移り変わりに、頭の中の情報処理能力が追いつかなくなってくるのでしょう。

でも自転車なら大丈夫。
ミュージシャンの皆様、自転車で走ってみると、
作詞の際に頭に浮かぶ光景が、少し変わってくるかもしれませんよ。

英国アカデミー外国語映画賞
日本アカデミー外国作品賞

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