園子温初期作品「自転車吐息」

自転車ムービー

自転車関連の映画を調べていたら、園子温監督の作品に「自転車吐息」なる作品がある事が判明しました。

「ぴあ フィルムフェステイバル」に『男の花道』という8ミリ映画を出し、その年のスカラシップ(制作補助金制度)に選ばれたて撮ったのが、この「自転車吐息」。

つまり、園子温監督にとってのプロ初作品です。

【あらすじ】

友人たちが出て行ってしまった田舎町で、3年目の浪人生活を続ける北史郎と友人の圭太。史郎は元旦の誕生日の直前、20歳が終わろうとする年の暮れに、さえない毎日を送る自分が嫌になり、圭太を誘って町を出る決心をする。そして圭太の気持ちをかきたてるために、高校時代に友人と製作し未完成に終わった映画『一塁』の続きを撮影することを提案するのだが……。

制作金補助とは言っても、大金がかけられる訳ではないので、園子温監督が主演をつとめるほか、監督の父親や母親、友人達が出演するので、演技もつたないし、若さゆえの粗さも目立ちます。見始めてしばらくは、意味不明な部分も多く、自主映画にありがちな、若さが作らせた自己満足系かと思っていました。

でも、次第にちゃんと第三者的視点で描いている事がわかって来ます。

青春で迷走や葛藤する登場人物達の奇妙な行動に対し、「おかしいんじゃない?」「変な人」
と、第三者のポソっとした発言が現実に引き戻します。

ここでの「自転車」は、いつまでも大人になれない男達の象徴。現実的な女性達は、その自転車をあっさり捨てたり、車に乗り換えたりして、大人になっていくのに、いつまでも男達は、自転車(青春)にしがみついているのです。

それが、映画のテーマになっています。のちに、園子温監督のこの映画にたいするインタビューを読んだら、

プロ初作品を撮るにあたって、プロと戦っていた

と語っています。

自分の8ミリで培ってきたものを、決して捨て去る事なく、
馴染ませねばならなかった。
多くの8ミリ作家はここでつまずいてきた。
簡単にいえば、プロに「負けて」いくのである。
自分を捨てて、あたかもそれまでの自分が無かったかの様に、
きれいサッパリ「プロ」へと「転身」していく。
そんな人をいっぱい見てきた自分にとって、この現場は、闘争だった。

この映画の中での「プロ」を象徴するのは、女性達の視点でしょう。大人であり、常識人であり、妹さえも、兄の不甲斐なさを感じている。だからこそ、大人になれない男達のこだわりが、常識人からみれば奇妙奇天烈に映る。

未練や後悔を引きずったままた意固地になって生きる男達は、気持ちの断捨離が出来ない、心のゴミ屋敷のようです。「ひきこもり」「ストーカー」「自殺」「家族との断絶」後に、園子温監督が得意とする、ずるずると闇に引き込まれ堕ちていく人達をテーマにした作品、その源泉がここにある事が、はっきりとわかります。

この映画を作っていた自分を、園子温監督は、こう語っています。

私は、二十五才だった。そして、「今だに十八才で立ち止まっている自分」と格闘していた。

ラストシーン、人は誰かの決めたルールや価値観で歩いている、そんな事を一発で表現しているシーンがあるのですが、若さゆえの粗さが、大人になった自分にトゲとして刺さります。

こういう仕事をしてる人って、下積み時代に「いつまでも夢見てないで、ちゃんとした仕事につきなさい」…て事を、親やまわりの人に言われながら、なにくそと思って無我夢中でやっています。そして、トガってるって言われます。

今の自分はどうだ?トゲ?そんな物はとっくに失って、まん丸じゃないか。園子温監督が戦っていたプロに、いつの間にか負けていた。もう一度、立ち上がって戦う力は、残っているんだろうか?

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