アニサ(桜台)

桜台の桜並木も、徐々に散り始めているなあと眺めつつ、桜台の地名って何で桜台?という素朴な疑問が湧きました。隣が江古田なのだから、田園にちなむのであれば桜田でも良かったはず。

調べてみると東京の区割りが関係していました。東京は15区から始まって35区に。そこからの統廃合で22区となり、最後に練馬区が板橋区から独立して23区となったという歴史があります。35区時代は板橋区の一部で、35区の中で一番大きな区だったようです。

区は人口の平均を考えて作られたのですが、22区になる時に練馬区の成立を訴えたのですが、戦前の練馬区は田舎で人口が少なかった為に、板橋区に吸収されて独立が認められませんでした。練馬が独立すると板橋区側の税負担などが大きくなる為に独立を認めない派もいたのですが、様々な根回しが行われ、一旦22区として成立した後、23区目として独立する事に。23区のウクライナみたいな感じだったのかもしれませんね。

実際に戦後だったので、「練馬区独立」という言葉に、練馬が日本から独立するつもりなのかと、GHQの兵隊達が詰めかけたという笑い話も残されているようです。

かつて桜台は南町(みなみちょう)という地名だったのですが、練馬区独立の際に地割りが整理され、桜台という名前に変更されました。で、話は戻って何故桜台?

大正4年、大正天皇即位を記念して、千川上水沿いの村々が桜が植樹され、桜の名所になっていて、桜の方はそこからとられました。問題は「台」の方です。千川通りの桜のあたりって平坦で台地という感じがしません。

しかし立体の地図で見てみると、石神井川を挟んでの台地。新桜台から正久保通りを通って氷川台に行こうとすると、途中、登り坂になっています。桜台は台地だったのです。


ちなみ江古田駅周辺は旭丘ですが、ここも平坦に感じますが丘なのです。日芸脇の通りを進むと、汁無し担々麺の「金時」を過ぎたあたりから下り坂になり、豊島高校に向けて再び登りとなります。暗渠といって川に蓋をされていますが、石神井川の支流のエンガ堀がある一帯。なので旭丘中学や日芸のあるあたりはエンガ堀から見た丘なのです。こちらも、 練馬区の独立の際に、練馬区の一番東で最初に朝日の見える丘という事で、旭丘となったようです。あと、日芸前の交差点から「まいばすけっと」方向に下って行きますが、あの一番下りの場所も石神井川の支流です。

ちなみに桜台の北口に「南町病院」というのがありますが、これが板橋区だった時の地名の名残だそうです。

前置きが長くなりましたが、桜台の新目白通り沿いにあるカレー屋さん「アニサ」。

ここもよくお店の入れ替わりの激しい物件ですが、アニサになってからは落ち着いています。

最近はインドネパール系で、ナンではなくライスセットのあるお店を探しているのですが、こちらにもありました。ナンのセットもあるんですけど。2種類のセットは1050円。

2種類のセットで、マトンとキーマをチョイスしたのですが、完全に色味が同じで一種類のようになってしまいました。

味はスパイス系というよりはバター系のマイルドな味。何粒か黒胡椒がホールのまま忍び込んでいて、油断していると、たまにパチンと弾けます。

■アニサ(Anisha)
■東京都練馬区豊玉北4-5-15
■営業:
11:00~15:00
17:00~23:00
■定休日:無休
場所はこのへん

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